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東京高等裁判所 昭和50年(ネ)1645号 判決 1978年9月26日

控訴人 国

訴訟代理人 押切瞳 小林政夫 ほか三名

被控訴人 村上正恵 ほか二一名

主文

原判決を取り消す。

原判決末尾添付土地明細表記載のA地(被控訴人村上正恵の占有する土地)、同B地(被控訴人田中治作、安田正男、長谷川芳太郎の占有する土地)、同C地(被控訴人谷中美枝の占有する土地)、同D地(被控訴人安藤千恵子の占有する土地)、同E地(被控訴人片岡昭子の占有する土地)、同F地(被控訴人岡本喜子の占有する土地)、同G地(被控訴人定兼隆信の占有する土地)、同(一)地(被控訴人小林張三郎の占有する土地)、同H地(被控訴人安郎陽一の占有する土地)、同I地(被控訴人鈴木康弘の占有する土地)、同K1、K2、K3及びK4地(被控訴人山本道一の占有する土地)、同L1及びL2地(被控訴人萩森典子の占有する土地)がいずれも控訴人の所有であり、同M地(被控訴人安藤千恵子の占有する土地)、同N地(被控訴人大沢トシ子の占有する土地)、同O地(被控訴人土谷千代子、土谷真知子、土谷正彦の占有する土地)、同P地(被控訴人岡本喜子の占有する土地)、同Q地(被控訴人阿部淑の占有する土地)、同R地(被控訴人福田典充の占有する土地)、同S地(被控訴人山口喬の占有する土地)、同T地(被控訴人安部陽一の占有する土地)、同U地(被控訴人小林張三郎の占有する土地)、同V地(被控訴人鈴木康弘の占有する土地)、同W地(被控訴人竹入美保子の占有する土地)、同X1及びX2地(被控訴人山本道一の占有する土地)、同Y1及びY2地(被控訴人森典子の占有する土地)、がいずれも森脇将光の所有であることを確認する。

被控訴人定兼隆信は原判決末尾添付物件目録(一)記載の建物及び工作物を収去してその敷地たる前記G地を、被控訴人大沢トシ子は同物件目録(二)記載の建物及び工作物のうち原判決末尾添付土地明細表記載のN地上に建存する部分を収去して右N地をそれぞれ控訴人に明け渡せ。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実

控訴代理人は、主文と同旨の判決を求め、被控訴人ら代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上及び法律上の主張は、左記のとおり付加するほか、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

(一)  原判決末尾添付図面に、同図面表示の基点2の電柱から磁針方位角(磁北を基準として右廻りに測る水平角、以下、単に方位角という。)一八九度一七分四秒の方向へ直線で一〇メートル六〇・三センチ六ミリ隔てた地点にP20を(便宜、別紙第一図面に朱記してこれを示す。以下同じ。)、右P20点を基点として方位角三一三度五一分四六秒の方向へ直線で一メートル八七センチ二ミリ隔てた地点にE3を、同図面表示のP30を基点として方位角一八度五八分二〇秒の方向へ直線で二八センチ五ミリ隔てた地点にC12を、同図面表示のG2を基点として方位角一八二度二三分三三秒の方向へ直線で一八メートル一八五センチ二ミリ隔てた地点にD20を加わえる。

(二)  被控訴人ら主張の後記権利濫用の抗弁事実を否認し、控訴人は、被控訴人らが森脇将光の土地の所有権を時効によつて取得したのにその旨の登記を経由していないことを奇貨として、右土地を差し押えて、その旨の登記を経由したのではなく、専ら、森脇の滞納国税を徴収するためにしたに過ぎないのであるから、控訴人において被控訴人らに対し登記の欠缺を主張することが信義に反し権利の乱用となるいわれはない。

(三)  また、被控訴人定兼隆信は、時効完成後である昭和四一年一〇月七日、控訴人に対し、原判決末尾添付土地明細表記載のG地につき国有地売払申請をしたが、右行為は、控訴人に対する時効利益の放棄とみるべきである。したがつて、被控訴人定兼については、取得時効が完成する余地はない。

(被控訴人の主張)

(一) 控訴人が森脇将光の土地につき登記の欠缺を理由として被控訴人らの時効による所有権取得を否認するのは、権利の乱用であるというべきである。すなわち、籏智良造は、昭和五年一二月新那須興業株式会社から二〇筆の土地を買い受けた際、本件係争地が売買目的地に含まれると指示されて引渡しを受け、所有の意思をもつて平穏公然に占有を始め、その後北村維敏を経て神田土地建物株式会社から、被控訴人らが、昭和三二年八月以降に、別荘地などにする目的で本件係争地を買い受け、各自の買受地に付された地番を正しいものと信じて所有権移転登記手続を経由し、一部の者は、すでにその上に建物を建築して居住している。右のような事情のもとで、被控訴人らに対し時効取得による登記を要求することは、不能を強いるにひとしく、社会通念に照らして著るしく酷というべきである。したがつて、控訴人が登記の欠缺を唯一の理由として被控訴人らの時効による所有権取得を否認することは、信義に反し、権利の乱用として許されないものというべきである。

(二) 控訴人主張の右時効利益放棄の抗弁事実を否認する。およそ、時効利益の放棄は、時効の完成したことを知つてしなければならないものであるところ、被控訴人定兼隆信が控訴人に対し国有地払下申請をしたとしても、当時は末だ本件訴訟が提起されておらず、同被控訴人は、原判決末尾添付土地明細表記載のG地につき時効の完成を知らなかつたのであるから、右払下申請をもつて時効利益の放棄ということはできない。

(証拠関係)<省略>

理由

栃木県那須郡那須町大字湯本ツムジガ平二一三番の三二一、三二八、三六三、三六六、三六八、三七二の土地が控訴人の所有、同番の三六四、三六七、三七一の土地が森脇将光の所有であり、被控訴人らが、それぞれ、別紙第二表記載のごとく、原判決末尾添付土地明細表記載の土地を占有し、被控訴人定兼隆信がそのG地上に原判決末尾添付物件目録(一)記載の建物及び工作物を所有し、被控訴人大沢トシ子がそのN地上に同物件目録(二)記載の建物及び工作物の各一部を所有していることは、いずれも、当事者間に争いがなく、また、<証拠省略>によれば、控訴人は、森脇の昭和二三年度分と昭和三一年度分の滞納国税を徴収するため、昭和四〇年七月一〇日、同人所有に係る右三筆の土地を差し押えたことを認めるのに十分である。

そこで、まず、被控訴人らの占有する右各土地が控訴人主張のごとく、控訴人及び森脇の所有に係る右各土地に該当するかどうかについて判断する。

<証拠省略>によれば、次の事実を認めることができる。すなわち、

(一)  前記ツムジガ平二一三番の山林は、もと国有地で、明治二一年ころ民間に払い下げられ、新那須興業株式会社は、昭和の始めころ、そのうち本件係争地を含む同番の一山林七二町二反四畝二八歩(七一万六五二一・二〇平方メートル)及び同番の二九四山林一〇町三反二畝五歩(一〇万二三六三・四八平方メートル)を所有していたが、昭和三年一二月右両地外一筆の土地を南ケ丘経営地として分譲するため、多数の区画に分割したうえ、別紙第三表記載のごとく、同番の一を同番の三六三、三六六、三六八、三七二及び三六四、三六七、三七一ほか一二〇筆に、また、同番の二九四を同番の三二一、三二八ほか三二筆に分筆し、そのうち同番の三二一、三二八、三六三、三六六、三六八、三七二の六筆の土地は、昭和八年下村合名会社がこれを競落し、昭和二五年、当時の所有者下村雪子が相続税納付のため控訴人に物納し、控訴人は、同年一二月四日これにつき所有権取得登記を経由した。また、森脇は、昭和四年一一月二七日新那須興業から同番の三六四、三六七、三七一の三筆の土地を買い受け、前叙のごとく、控訴人が昭和四〇年七月一〇日これを差し押えてその旨の登記を経由したこと、

(二)  一方、籏智良造は、昭和五年一二月二二日新那須興業からその余の同番の三〇六、三一〇、三一一、三一九、三二〇、三四六ないし三五四、三五六ないし三六一の二〇筆の土地を買い受け、別紙第三表記載のごとく、昭和六年五月三〇日右二〇筆の土地のうち同番の三四七、三四八の二筆を合筆して同番の三四七とし、同番の三一〇、三一一、三四九ないし三五四の八筆を合筆して同番の三一〇とし、同番の三一九、三二〇、三五六ないし三六一の八筆を合筆して同番の一三九とし、同日同番の三一〇から同番の三一一を分筆して同年六月一一日これを佐々木恵秀に譲渡し、また、昭和三〇年一二月二八日に至り、同番の三〇六、三一〇、一三九、三四七の四筆の土地を北村維敏に譲渡し、北村は、昭和三一年一二月二六日右四筆の土地を神田土地建物株式会社に譲渡したが、両者の合意により、登記は北村名義のままにしていた。神田土地建物は、昭和三二年八月五日、別紙第三表記載のごとく、北村名義で、同番の三〇六、三一〇、二二九、三四七の四筆を合筆して同番の三〇六としたうえ、これを五五区画に分割して、同番の三〇六、七四〇、七四一、七五九、七六〇ないし七六九、七七一ないし七七九筆に分筆し、同年八月二一日以降別荘地として売り出し、昭和三三年二月三日、分譲地取得者の承諾を得て、従前の同番の三〇六の地積三反九畝二〇歩(三、九三三・八七平方メートル)を一町四反二〇歩(一万三、九五〇・三九平方メートル)と訂正したこと、

(三)  被控訴人山本道一は、神田土地建物の代表取締役であつて、昭和三七年八月三〇日売れ残つた同番の七七一、七七二、七七四ないし七七七の土地の所百権を自ら取得したものであるが、その余の被控訴人らは、いずれも、別紙第二表「占有開始日」欄記載の日に神田土地建物から土地の分譲を受けた者ないしはその承継人であること

を認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

ところが、<証拠省略>によれば、次の事実を認めることができる。すなわち、

前記ツムジガ平二一三番は、前叙のごとく、もと国有地であつたため、法務局備付けの図面としては、払下げの行なわれた明治二一年ころ、同番の一ないし四の各筆毎に作成された、間尺の記入されていない極めて大まかで見取図といつたような山岳図が存在するのみで、いわゆる公図はなく、新たに分筆された土地については、当該分筆届添付の図面が、形状、面積とも、実測に基づくものであるところから、公図代用の図面として取り扱われていた。しかし、かかる図面による場合、もともと、その図面が新付番地のみに関するものであつて、それには残地の記載がないため、新付番地の形状、面積は判然としていても、分筆のもとになつた土地の形状、面積が果たした図面どおりであるかどうか判らないという欠点が蔵されていたこと。ところで、昭和三年一二月新那須興業が前叙のごとく分筆するに際して作成した<証拠省略>の分筆届添付の図面は、比較的精度の高いものであるため、一般に公図代用図面として広く利用されているが、同図面では、後に下村雪子が控訴人に物納した二一三番の三二一、三二八、三六三、三六六、三六八、三七二は、森脇所有の同番の三六四、三六七、三七一とともに、一団の土地を形成し、籏智の買い受けた同番の三〇六、三一〇、三一一、三四九ないし三五四、三一九、三二〇、三五六ないし三六一、三四七、三四八とはへ東西に走る通路を隔てて南に隣接していること。昭和三三年ころ右道路の南側一帯の土地で、しかも、その中には、明らかに岩川ハルと所有者を示す標杭が立てられていた同番の三七〇の土地が含まれているにもかかわらず、神田土地建物の関係者がこれを無視して勝手に立ち木を切り払い、そのことにつき、現地の管理人であつた菊地双一郎は、「あの土地は、地積訂正をしたので、神田土地建物のものになつた。」旨弁明していたこと。神田土地建物は、前叙のごとく、昭和三三年二月三日従前の同番の三〇六の地積三反九畝二〇歩(三、九三三・八七平方メートル)を一町四反二〇歩(一万三、九五〇・三九平方メートル)と増歩の訂正をしたが、湯本地区にはいわゆる縄延びがないことは、昭和五年ころツムジガ平二一三番と二一四番の境界が争われた訴訟において明確にされていたこと。しかも、試みに、前掲新那須興業作成に係る<証拠省略>添付図面を、特徴のある道路や沢との関係位置を基礎として、合理的な方法で、神田土地建物が前叙のごとく昭和三二年八月合筆及び分筆の各届に添付した図面である<証拠省略>に移記し、さらに、実測図である<証拠省略>原審検証図面(一)にあてはめ、その結果を原判決末尾添付図面に照合すると、原判決末尾添付土地明細表記載のAないしJ、K1ないしK4、L1及びL2の各土地が、控訴人所有の二一三番の三二一、三二八、三六三、三六六、三六八、三七二の各土地と、また、同MないしW、X1、X2、Y1及びY2各土地が、森脇所有の同番の三六四、三六七、三七一の各土地と重なり合うこととなることが認められ、右認定の妨げとなる証拠はない。

しかして、以上認定の諸事実からみて、原判決末尾添付土地明細表記載のAないしJ、K1ないしK4、L1及びL2の各土地は、控訴人の、同MないしW、X1、X2、Y1及びY2の各土地は、森脇の所有であると断ぜざるを得ない。

次に、被控訴人ら主張の取得時効の抗弁について判断する。

この点につき、第一に、被控訴人らは、前叙のごとく籏智が昭和五年一二月二二日新那須興業から二〇筆の土地を買い受けた際、本件係争地も、売買目的地に含まれていると指示されて引渡を受け、爾来その占有を継続して来た旨主張し、現地の管理人であつた菊地双一郎や神田土地建物の専務取締役浅野三井及び代表取締役山本道一は、これに副う旨の供述をしており(<証拠省略>ー参照)、また、原審検証の結果によれば、本件係争地の南東角である原判決末尾添付図面表示のPA点付近に、「籏智」と刻した石標が存在し、その南西角である同図面表示PO点と右PA点とを結ぶ線上附近から、腐触した木の杭が掘り出されたことが認められる。しかし、右供述は、<証拠省略>と対比してたやすく措信し難く、また、「籏智」と刻した標石も、それがいつ、いかなる目的で何人によつて設置されたものであるのかが不明であり、腐触した木杭も、後記のごとき神田土地建物が設置した木杭の残存物ではないといい切れないので、これをもつて被控訴人らの主張を裏付ける的確な証拠とはなし難く、却て、<証拠省略>によれば、新那須興業は、前叙のごとく、ツムジガ平二一三番の一と同番の二九四を分筆し、これを南ケ丘経営地として分譲するに際し、前掲<証拠省略>添付図面に基ずいて作成した経営地全体の区画図を買受人に手交するのを建前えとしていたことからみて、南ケ丘経営地の買受人である籏智も、同図面を交付され、それによつて現地の指示を受けたものと推認さること、前段認定のごとく、神田土地建物が昭和三三年二月三日地積訂正を行ない、そのころ本件係争地内の立ち木を切り払い、また、<証拠省略>によつて認められるごとく、神田土地建物が原判決末尾添付図面表示の前記PO点とPA点とを結んだ線上に木の杭を打ち込み、有刺鉄線を張つたことに徴し、本件係争地の占有は、神田土地建物が昭和三二年半ばころから始めたものであると認めるのが相当である。

第二に、被控訴人らは、神田土地建物の右占有はその始めにおいて善意無過失であつた旨主張する。しかし、<証拠省略>によれば、神田土地建物は、土地建物の分譲を目的とする会社であるから、買受地の範囲を特定するについては、後日の紛争を防止するため、隣地所有者の立会いを求めるなど慎重な措置をとるべきであつたのに、北村維敏から前記土地を買い受けるに当たり、隣地との境界を確定するためその所有者である岩川ハル、森脇、控訴人のいずれに対しても立会いを求めた事実のないことは、神田土地建物の代表取締役たる被控訴人山本道一が原審における本人尋問において自供しているところであること。那須町の湯本地区については、いわゆる公図はなく、分筆届添付の図面をもつてこれに代用していたことは、前段認定のとおりであるが、那須登記所においては、分筆届の保存期間が五年であるにもかかわらず、湯本地区のものに関しては、明治以来それを保存し、必要に応じ、一般の者にもその閲覧を許していたこと、しかるに、神田土地建物が前叙のごとく昭和三二年八月北村維敏名義でした合筆及び分筆の各届書添付の図面(<証拠省略>)は、本件係争地に関する限り、明らかに、公図に代用されていた新那須興業作成に係る分筆図(<証拠省略>)とは異なることが認められ、これらの事実に、前段認定のごとく、神田土地建物は、所有者の標識を無視し、また、いわゆる縄延びのない地域であるにもかかわらず、三倍強にも及ぶ増歩の地積訂正を行ない、しかも、<証拠省略>によつて明らかなごとく、右地積訂正についても隣地所有者の承諾書をとつていなかつた事実をも併わせ考えれば、神田土地建物の本件係争地に対する占有の開始を目して善意無過失のものということは、到底、許されない。そして、神田土地建物の本件係争地に対する占有開始の日から本訴提起の日までの間に、二〇年の期間が経過していないことは、記録上明らかである。そして、また、被控訴人らないしはその前者の本件係争地に対する占有が所有の意思をもつて平穏公然かつ善意無過失に始められたものであるとしても、その占有開始の日から本訴提起の日までの間に、一〇年の期閲が経過していないことも、その主張自体に懲して明らかである。

以上の次第で、被控訴人らの取得時効の抗弁は、いずれも、採用の限りでない。

それ故、被控訴人らに対し本件係争地の所有権の確認を、被控訴人定兼隆信、同大沢トシ子に対し建物等の収去及び土地明渡しを求める控訴人の本訴請求は、正当として認容すべきである。

よつて、以上と異り、控訴人の右請求を棄却した原判決は失当であつて、本件控訴は理由があるから原判決を取り消して本訴請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九三条一項、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 渡部吉隆 浅香恒久 中田昭孝)

別紙第一ないし第四及び図面<省略>

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